縁の下の力持ち ②

「車で会社に出勤し、会社についてパソコンで仕事をする」

たったこれだけの作業にどれだけの人間が携わっているでしょうか。

車を手作業で組み立て、車が走るための道路を深夜に整備し、会社と言う建物を人間が作り上げ、パソコンという機械を組み立てている人がいて初めて我々は仕事ができています。

 

 人間の記憶を超越する機械も人間が組み立て、製造して初めて役をなす機械へと姿を変える工程があるということ、どこまでの人が意識するでしょうか。

工場で一生懸命組み立てる人の努力があること、知らないのではなく、見ることができないのです。「頑張る姿」こそ世に伝えて、希望を与える必要があるのではないでしょうか。

 実態を知らない我々はお金と言う唯一の付加価値だけを頼りに売買をします。

しかし、その実態を知ることで、どれだけの高低を人間が行っているか、少しでも知ることができれば、その付加価値を理解できるのではないでしょうか?

そして本当のマーティングを考えることに繋がるのではないでしょうか?

 

 こうした実態を伝えるべく手段として、本を書いたのでは文字として「表現」でしか伝わりません。富士山の景色を口頭で伝えることができるでしょうか?

人間の主要情報分析機構は1番に「目」、2番に「耳」、3番に「体感」です。

つまり、視覚的に情報を取り込むことを主としており、文字による情報分析と視覚的景色による情報分析とでは、情報収集量とスピードが倍以上違います。

 信号機が文字で無い理由、標識が絵でる理由を考えれば一目瞭然ではないでしょうか。つまり、人間は文字よりも景色から読み取る場横領の方が多く、文字のように一度脳を経由しない点スピードがぜんぜん違うのです。

 このように映像から得る情報は、文字認識よりも残像として記憶に残りやすい修正を持っています。その代表的な記憶媒体が写真です。

 

 会社に貢献ではなく、世の中に後見している「本当の自分の姿」こそ、世にアピールすべき本当の「商品」ではないでしょうか。

 

 そして人間が作り上げた写真という媒体を利用して、記憶をのこし、次世代へ伝えるツールとしての商品にもなりうるのではないでしょうか?

 

 人間が作り上げた文明の利器を「正しく」使うことで、可能性は無限大に広がると言うことです。

 

縁の下の力持ち ①

我々人間は今や、人間の記憶能力をはるかに超越したコンピューター制御による時代に生きています。つまりは、スマートフォン、パソコンなどの電子媒体によるIT技術を駆使し、ビジネスを発展させ進化し続けています。

 IT企業と聞くと、すごくハードルの高い「高収入」「エリート企業」「できる人間」「頭の良い人」などと勝手に連想してしまいがちですが、その企業を支えているのはIT技術だけでなく、それを製造している人達がいることを忘れてはいけません。

 

 今や製造業は「低コストで大量生産」が主になっており、機械による無人工型製造が主になってきております。当然機械を操作する人間は必要ですが、言い換えればIT社会の発展により、ロボットに侵食されていると言うべきでしょうか。コンピューター制御により単純作業をプログラム化し、人間の作業をなくすことでそこに発生する人権費を削減に成功しました。当然、ロボットには人間以上の記憶能力・作業効率が保証されており「疲れる」ことを知りません。一定の作業をひたすら繰り返して、人間の限界の倍の量を製造します。

 

 確かに技術と言うのはすごい産物です。時代相応の開発物を生産し、貿易を通じて利益も確保できる経済発展の延長線「MADE IN JAPAN」のネームバリューは海外でも好評価であることが事実です。

 

 人工知能に、3Dプリンター、いつしか人間のいないロボット産業の時代は近づいてきているのかもしれません。しかし、人間が作り出したこのロボットに人間の心は存在しません。

 ソーシャルネットワーク・インターネット・デジタル化など、全てが信号化データ化されている現代に、なぜロボットで対応できない業種があるのでしょうか?

 

 人間が住むための「家」は「建築」という業種にあります。床があり、壁があり、屋根があり、生活環境がある「家」はロボットや3Dプリンターでは作ることができません。法律で定められた安全基準に関しては、いくら記憶量の多いロボットの脳があっても、人間にしか組み立てができないからです。

 

 つまりロボットにできないことを我々は行うことができることが一番の誇りです。そして、その努力は必ずしも人の目に留まるばかりではありません。実際の作業現場を知られることなく、努力の結晶の付加価値をもって世に排出されます。

自分のという商品の価値 ②

こんな経験ありませんか?

自動販売機でジュースを買った。

スーパーに行ったら同じジュースが安く売っていて、不公平を感じた。

 

これは付加価値だけを見ているからです。

自動販売機は様々な場所に設置してあり、利便性が良く、並んで待つ必要が無い。

 

一方スーパーは安く買うことはできるが、人は多く、自動販売機のように冷えてはいない。最悪の場合は会計に並び時間をもて余すケースもある。

 

つまり、そこにあるのは付加価値だけであり、納得のいく説明や商品が存在しないため、価格が唯一の商品となってしまっているのだ。

確かに、自動販売という機械は商品だか人間特有の感情や、アドバイス、提案という概念は存在しない。

初めて買うジュースの味を教えてはくれません。

 

 原理は同じです。そこには様々な物がおいてあり、付加価値を植えつけてゆくのが、営業と言う商品です。そして、人間が働くと言うことはそこに付加価値以上の商品価値があることを知ってもらうことが必要ではないでしょうか?

 

 つまり、店頭に並んでいるのは商品ではなく「自分」が商品であり、自分が売れることで始めて本当の「商品」が売れることになります。

 自分自身が商品であることをアピールするのも自分しかいません。

売れたか売れないかはあくまで価格競争の話であり、本当の商品を売ったことにはなりません。自分を売るからこそ、ネームバリューは発生し、そこに真の利益は生み出され、企業としてのブランド名が強くなりニーズが集まると言うビジネスサイクルを生み出すのです。

 

 お客様は常にニーズを持って、対企業に接します。そこにサービスを求め、よりよいサービスを価格帯から選別し、選んだ企業を離さない傾向にあります。

 自分と言う価値を改めて見直し、自分が何をしているのか、何に対して努力をしているのか、それを人に伝えることが努力であり、結果は付いてくる付加価値に過ぎません。まずは、自分をアピールすることに努力してこそ本当の営業であり、数字を背負う荷馬車でもないということです。

 自分と言う「商品」を買いにくる以上、お客様は「自分」を求めてきてくれます。

自分のという商品の価値 ①

働く人にとって、仕事をした瞬間の実感とはどんな場合であろうか?

自分が役に立った、と実感できる瞬間は何時だろうか?

 

男性女性問わず、毎日働いている景色の中で人は何を見ているのだろうか。

何を目指して生きているのであろうか。その仕事に就いたには必ず経緯があります。

少なくとも、「やってみたい」または「自分の可能性を確かめたい」「役に立ちたい」いづれかの想いはあるはずだ。

その想いは、仕事の結果ではなく、取り組む姿勢そのものに現れている。

つまり、目を見ればその人の真意はわかるということだ。

 

そして、この想いはやがて結果となり、知られざる職人技としてキャリアとなり、また人に憧れや影響をあたえるのではないだろうか。

自信がその職を選んだときのように。

 

一概に仕事といっても「職」には種類があり、さまざまな「色」がある。

しかし、実際のところこれから働く人や身のまわりに知られていない職種は多く存在する。

言い方を変えれば「人が避けて通る職」と決め付けているのかもしれない。

「親父の背中を見てあこがれた」「家系元来の伝統職だ」など、最も身内の姿を見ればもちろん影響を受けること間違いなしです。

しかし、その職をどれだけの人が知っているのでしょうか?

それを世間に公表していかない理由は何でしょうか?

 

そこには「自分」という立派な商品が存在しているのです。

 

今や車は欠かせない移動手段となっておりますが、その車、何がきっかけで買いましたか?

コンビニにいって鍵を買って乗って帰るというような流れ作業にはなりません。

つまり「誰か」とお話をして、話を聞いて、質問をして、相談をして、交渉して、買いませんでしたか?

「誰か」とは人間です。

車は付加価値であり、本当の商品ではありません。

本当の商品は、その付加価値を販売する「自分」そのものなのです。

「叱られても、耐える。そして家族の為に」 ~家で見せないつらい顔~②

そんなある日、お父さんの職場について家族が調べた場合、果たしてどれだけの企業イメージを伝えることができるのでしょうか?

情報公開は、親近感を高める集客効果だけではなく、勤めているその周りの人達に安心を与える素材としても活かせるのではないだろうか。

つまりホームページのブログにとどまらず、個人としての情報公開が、企業の見えないところで、イメージ向上に繋がっている可能性はあり、知りたいと言うニーズもあり得るのではないでしょうか。

 

個人の表現は尊重されるため、表現によってはそれがイメージに影響を及ぼす場合も考えられます。しかしその表現は立派な一つの意見であり、マイナスの要素そのものでもあります。

つまり、イメージに影響することを公開できない理由があるのは企業側だからです。知られても問題がないことは、情報公開されること自体に異議がありません。

情報公開こそがイメージを良くするツールであり、公開しない要素こそ、疑問点を作るという観点が増えてきております。

 

会社から見える景色を知りたい人は少なくありません。

たとえ家族であっても、働く姿はなかなか見ることは出来ません。そんなとき、唯一の情報手段は写真しかありません。

家庭を持つ父であれば、その勇姿は家族に見て欲しい映像だと思います。

また、家族からしてみれば、お父さんはどんな姿で働いているのか、親の背中を見て育つ子に見せるのは映像媒体です。

 

取り組んでいる仕事が成功しかけている、そんな様子も規制により公開できないのでしょうか。

頑張る姿だけでも、映像化できないのでしょうか。きっと、家では見せない一面を持っているはずです。

企業に勤め、会社に貢献する「社員」は会社のために利益を生み出すべく、日々努力をして貢献しています。それに対して会社はお金を支払って労働を買います。それは、ただ社員として働くだけでなく、その社員の「家族」の生活に対してお金を払っていると言うことになります。

そこには様々な心理があることも事実です。

会社の社員のうしろには、その「家族」がおり、帰りを待ちわびているということです。

 

仕事場の景色をPRするからこそ、強い企業イメージを提供できるのではないでしょうか。

そして、社員が自分の働く姿を自身を持って人に紹介できる、一つの「商品」となる可能性にこれからの注目を期待します。

「叱られても、耐える。そして家族の為に」 ~家で見せないつらい顔~①

「行ってらっしゃい」「行ってきます」この二言が、家と仕事の境目を作る毎朝の儀式です。

家庭と世間を唯一さえぎる一枚の扉を開くとそこには、ビジネスマンとしての姿が見えてきます。会社では一体どんな仕事をしているのでしょうか。家族にはその姿は見えません。

 

家族は会社で何が起きているかなど、知る由もありません。そしてまた、会社に勤めているひとりひとりの人間が、家に帰るとどんな顔をしているのか、お互いに知るわけもありません。

 

近年ではソーシャルネットワークが発達し、勢いを増して普及してきております。

スマートフォンで撮影を行い、ネットワーク上にアップロードすることで、同一空間に存在するビュウワー(閲覧者)がそれを閲覧できるという仕組みです。

大手情報交換ツールも復旧しており、今や無料で情報交換ができる次代になりつつある中、企業では「個人情報」や「企業秘密」や「企業イメージ」などへの影響を理由に、一切の禁止を設けている企業も存在する。

確かに、社内での撮影は個人情報を管理している関係もあり、危険は伴われる。

しかし、そもそも個人情報とは一般的に、人目に付かない書庫などに保管することが当然ではないのでしょうか。

お互いの肖像権についても、個人間で認める限りであり、会社が規定できることではないことは、日本国憲法によって守られています。

※ただし、度が過ぎる情報公開は別である。

最近は、自ら社内でブログを掲載し、お客様との距離を縮め親近感を持ってもらうという趣旨の基に情報公開の取り組みが促進されており、今では多くの企業が取り組んでいる時代になりました。

製造業など「企業秘密」に該当する場合はやむを得ないかと思いますが、表現の自由と言う意味ではあくまで個人の権利であり、情報公開が一種の気休めの場所なのではないでしょうか。

情報を発信すると言う行為は、人間の心理上誰かに知ってもらいたい、孤独からの開放感や共有したい好奇心、提供したいと言う慈善心、アピールしたい存在意義や表現方法の追求など、企業に対してマイナスと言う事は少ないのではないでしょうか?

 

むしろ、対一般人への情報発信により、お互いのネットワークは広がり、企業のPRにも繋がる可能性もあり、大半の企業がこうしたブログを通じて企業のイメージアップを図っております。

インターネットが普及した現代、自宅にいながら会社の情報など簡単に閲覧することができるため、ブログやホームページは広告手段として非常に有力なツールであるとして、力を入れている企業が非常に意多いです。

 

「見える結果と、見えない努力」 ~伝えたい、数字よりも重たい努力②

「平成ゆとり」「平成の若者」というレッテルを張られてしまった現代人は、より働きやすい環境を求め、自信に磨きをかける傾向にあります。

 

 例えば、業績について。

 「業績が悪く、これに対してお叱りを受ける。」

 

 ありがちなワンシーンですが、ここには見えない努力も存在しています。

日頃から営業活動は絶えず行っているのに、結果が出ない。これには結果しか証明できる実績がないからです。もちろんなぜ売上が上がらないかの、向上心・研究は大切です。いずれにしてもそれは見えない努力です。しかし、数字はそこまで表現してくれません。ビジネス体系を見直したときに、正しい結論になっているのでしょうか。

よく売り上げる社員か、お客様から絶対的な信頼感を得ている社員か、果たしてどちらが利益なのでしょうか。

 

会社にとっては「売上」こそ利益です。

 

 しかし、売上を確保すべく 厳しいノルマを設けたり、厳しい言葉が飛び交ったり、動物のような扱いになっていませんか?

 つまり、「第三者へ利益の提供」のはずが、「会社への貢献と利益の確保」へと方向転換し、会社を運営するための、実績になってしまっています。「結果に繋がらない努力は努力ではない」と考える企業もあるようですが、全部が全部でもありません。そして、仮に結果にならなかったとしても、いつかその効果は返ってくるものであり、決して無駄には終わりません。

 

 人はほめられると、誰しもうれしくなります。モチュベーションは向上し、気持ちも取り組みに対しても積極的になれるということです。それは利益を生み出すための好都合な環境です。それをとりまく環境の変化によって、努力は報われる場合もあると言うことです。

 

 団体で取り組みをしている場合、プロジェクトに携わったものの、成功時の賞賛が特定の人物だったらその努力には不公平が生じてしまう。チームで仕上げたにもかかわらず、リーダーが賞賛を受けたのでは面白くないはずだ。

こうした環境では本人のモチュベーションはどう考えても向上するとは思えない。

 

モチュベーションはビジネスへ大きく影響を及ぼすことが多く、モチュベーションを保つ事も大切な取り組みであると思います。

意外とありがちな例として、「上司や特定の主導者に気に入られている」など、ビジネス上はスキルを認められている「良いこと」だとは思うが、そこに格差が出来てしまっていることは他人から見れば差別感を覚えてしまう。不公平な環境を作らないためにも、会社の環境の再認識こそが、結果に繋がっているのではないかと考えます。

「見える結果と、見えない努力」 ~伝えたい、数字よりも重たい努力①

人は毎日仕事をして生きる中で何をもって「仕事をした」ことになるのでしょうか。

基準はどこにあるのでしょうか。見えない努力の末に、見える結果を出している。

この努力はどこまで伝わっているのでしょうか。

 

身近な目に見えない努力を取り上げてみます。

いま、ご覧になっている端末(パソコン・スマートフォン・その他電子情報媒体)は、人間の作業や努力によって成り立っています。

 

開発(人間の知恵を振り絞る努力)

製造(人工あるいは機械製造に関してはその機械を設計する努力)

商品(パッケージや梱包、販売の為の努力)

販売(情報媒体を通じて広告・周知する努力)

配達(商品を検品し、工場から配達する努力)

 

この努力なくして、利益は成り立ちません。

しかし、これらの努力はほとんどの確率で「見えない努力」に終わってしまいます。

誰も気に留めることなく、満足のいく利益だけを見ているからです。

誰しも人間初めてはあります。会社に勤めて叱られたとき「なんでこんな言われ方をするのだろう」「こんなに言わなくても良いのに・・・」など、ショックを受けたこと、誰しも一度はあるのではないでしょうか。

何時の時代も経験による成長は、無限ループを繰り返し、昔があるから今があると言うことです。失敗は成功の元と言う事で、経験こそ全てではありますが、自分が嫌だと思ったことを果たして自分は他人にしていないだろうか、と考えると自信を持って手を上げられる人は少ないのではないでしょうか。

つまり、平成と言う時代には平成の時代の流れが存在しており、今や昭和の考え方は少しずつ古典的という印象が植え付けられ始めています。

それは、ビジネスの変化も大きく影響しており、終身雇用と言う言葉も今では耳にすることがなくなってしまいました。悲しいと思う方もいらっしゃるかとは思いますが、平成の波は勢いを増しております。

勤めた会社で業績を伸ばせなかった場合に「ここは自分のフィールドではない」という価値観により、転職を考え始めます。逆を言えば、得意分野には特化した才能があるという可能性を秘めている、と考えるのが良いでしょうか。

教育の方法は変り、感情の動き方も変ってきていることから、ジェネレーションギャップが生じ、多くの企業が採用に困ったと言う時期がありました。

しかし、昭和と平成の教育の違いによるギャップをマッチングさせることは非常に難しいかと思われます。ビジネスモデル・経営の心理 ・士業の心得 のような概念は無くなり、技術を問われる時代に生きていることは紛れも無い事実です。

「自分の仕事が世に与える効果」 ~働くことに意味を持つ~②

全てを踏まえて「仕事」を振り返り、自分の仕事が世に与える影響について考える。

 

①新入時

 

まずは仕事をするスキルを身につけるため、様々な作業や勉強、雑用を含め業務全般を覚える。

これは、自分が会社の一員として働くために行う準備段階であり、非常に大切な時期である。

当然失敗はつきものであり、失敗をすれば怒られる。なぜなら、会社にとって損失を発生させることになるから。雇ってもらい、お金をもらう以上は、そのお金以上に稼いでもらいたいという会社の気持ちがあるからこそ「怒る」のである。これは感情のお話ではなく、損得における失態について注意を促す行為です。

 

②後輩を持つ

 

あえて言うなれば、一つ先輩になるということでしょうか。

これまでの教わる身でありながらも、後輩に教えるという先輩の役割が発生します。後輩は、「あなた」が教えたことが「お手本」だと思い、お手本を基に学習使用とします。同時に後輩の仕事に対する「責任」が発生します。

あなたに従った結果が招いた失敗となれば、間違った後輩ではなく教え方が悪かったあなたが注意を促される対象になります。

つまり、連帯となって仕事をする必要があり、連帯だからこそできる仕事の可能性を学びます。そして新人を育てながら実績も上げるという「仕事」で会社に貢献する必要があります。

 

③責任者の自分

 

新入時から学び、後輩を抱えチームとして仕事に取り組み、経験を重ねることで団体のリーダーとなります。リーダーになると言うことはチーム全体を見渡し、指揮を振る必要があります。つまり、後輩を育てる先輩を司る存在になり、ある程度の権限も与えられ、その分の責任を負うことになります。利益を得るためにはどうすればよいか、利益が出ない原因は何か、問題点と対策について考え、チームの代表として会社に貢献する必要があります。

 

結論として、自分が行うべき仕事は「会社への貢献」であり、どのステップにおいても責任を伴う「仕事」をこなしていると言うことになります。そして、会社は世に貢献し、人々に利益を提供することを目的とし、我々は日々仕事をして生きていると言うことになります。

日々の努力が、何時しか報われる日を目指して毎日頑張って働くのがビジネスです。

「自分の仕事が世に与える効果」 ~働くことに意味を持つ~①

自分のやってみたかった仕事、夢を抱いた時の自分が今、その未来に生きているだろうか?

いつしか、目の前の出来事に迫られ、追い込まれていないだろうか?

本当にやってみたかったことが、ちゃんとできているだろうか?

 

人は誰しも、「仕事」というビジネスの上に生きています。

生きているだけも税金を問われ、生活をするにも税金を問われます。つまり国民である以上は何もせずには生活ができない仕組みになっている。

いつしか結婚を未来に、家族を養うという理想を描く男性は多いのではないでしょうか。

生きるためにも、家族を養うためにも仕事を持ち、働くことが必要なのです。

「働く」ということは、言い換えると「雇われる」ということになります。

もっと言えば組織の一員として、会社に貢献する存在になり、第三者へサービスを提供する人間になるということです。しかし、不景気と言われているこの時代に、自分の生活を支えるべく給料を稼ぐことさえも厳しく、収入面で頭を抱えている方は少なくないようです。

 

仕事というのは、いくつかの役割分担による組織の作業によって成り立っており、組織であるということは必然的に上下関係も存在します。

それは、会社を経営していくに必要な役割だからです。

 

では組織の中で行う自分の仕事が世に与える影響とは何か。

そもそも仕事とは、ビジネスとして対第三者に何かしらの形で「サービス」を提供することであり、そこに利益を生み出すことで自らの生計を図るものである。それを組織として分担作業で行い、より多くのサービス提供に努めるのが「会社」という組織です。

だからこそ意識いただきたいのは、組織に勤めているのはロボットではなく人間であるということです。生きるために必死に取り組み、会社に貢献しようとしている人材であることを大切にしていただきたいと強く思っております。

 

そこで、組織に勤める「自分」という存在を3つの観点で捉えてみます。

 

①新入時の自分・・・覚えることがいっぱいで、上司に叱られながらも覚えていくしかない。

②後輩を持つ自分・・・新入社員または後輩に仕事を教えなくてなくてはならない。

③責任者の自分・・・ある程度勤務年数を過ぎ、肩書きを与えられ、管理職としての責任を負う

 

改めて様々なビジョンからビジネスを見直してみると、知られざる責任や忘れかけている初心が見えてくるのではないでしょうか。