自分のという商品の価値 ①
働く人にとって、仕事をした瞬間の実感とはどんな場合であろうか?
自分が役に立った、と実感できる瞬間は何時だろうか?
男性女性問わず、毎日働いている景色の中で人は何を見ているのだろうか。
何を目指して生きているのであろうか。その仕事に就いたには必ず経緯があります。
少なくとも、「やってみたい」または「自分の可能性を確かめたい」「役に立ちたい」いづれかの想いはあるはずだ。
その想いは、仕事の結果ではなく、取り組む姿勢そのものに現れている。
つまり、目を見ればその人の真意はわかるということだ。
そして、この想いはやがて結果となり、知られざる職人技としてキャリアとなり、また人に憧れや影響をあたえるのではないだろうか。
自信がその職を選んだときのように。
一概に仕事といっても「職」には種類があり、さまざまな「色」がある。
しかし、実際のところこれから働く人や身のまわりに知られていない職種は多く存在する。
言い方を変えれば「人が避けて通る職」と決め付けているのかもしれない。
「親父の背中を見てあこがれた」「家系元来の伝統職だ」など、最も身内の姿を見ればもちろん影響を受けること間違いなしです。
しかし、その職をどれだけの人が知っているのでしょうか?
それを世間に公表していかない理由は何でしょうか?
そこには「自分」という立派な商品が存在しているのです。
今や車は欠かせない移動手段となっておりますが、その車、何がきっかけで買いましたか?
コンビニにいって鍵を買って乗って帰るというような流れ作業にはなりません。
つまり「誰か」とお話をして、話を聞いて、質問をして、相談をして、交渉して、買いませんでしたか?
「誰か」とは人間です。
車は付加価値であり、本当の商品ではありません。
本当の商品は、その付加価値を販売する「自分」そのものなのです。