自分のという商品の価値 ②
こんな経験ありませんか?
自動販売機でジュースを買った。
スーパーに行ったら同じジュースが安く売っていて、不公平を感じた。
これは付加価値だけを見ているからです。
自動販売機は様々な場所に設置してあり、利便性が良く、並んで待つ必要が無い。
一方スーパーは安く買うことはできるが、人は多く、自動販売機のように冷えてはいない。最悪の場合は会計に並び時間をもて余すケースもある。
つまり、そこにあるのは付加価値だけであり、納得のいく説明や商品が存在しないため、価格が唯一の商品となってしまっているのだ。
確かに、自動販売という機械は商品だか人間特有の感情や、アドバイス、提案という概念は存在しない。
初めて買うジュースの味を教えてはくれません。
原理は同じです。そこには様々な物がおいてあり、付加価値を植えつけてゆくのが、営業と言う商品です。そして、人間が働くと言うことはそこに付加価値以上の商品価値があることを知ってもらうことが必要ではないでしょうか?
つまり、店頭に並んでいるのは商品ではなく「自分」が商品であり、自分が売れることで始めて本当の「商品」が売れることになります。
自分自身が商品であることをアピールするのも自分しかいません。
売れたか売れないかはあくまで価格競争の話であり、本当の商品を売ったことにはなりません。自分を売るからこそ、ネームバリューは発生し、そこに真の利益は生み出され、企業としてのブランド名が強くなりニーズが集まると言うビジネスサイクルを生み出すのです。
お客様は常にニーズを持って、対企業に接します。そこにサービスを求め、よりよいサービスを価格帯から選別し、選んだ企業を離さない傾向にあります。
自分と言う価値を改めて見直し、自分が何をしているのか、何に対して努力をしているのか、それを人に伝えることが努力であり、結果は付いてくる付加価値に過ぎません。まずは、自分をアピールすることに努力してこそ本当の営業であり、数字を背負う荷馬車でもないということです。
自分と言う「商品」を買いにくる以上、お客様は「自分」を求めてきてくれます。