「見える結果と、見えない努力」 ~伝えたい、数字よりも重たい努力①
人は毎日仕事をして生きる中で何をもって「仕事をした」ことになるのでしょうか。
基準はどこにあるのでしょうか。見えない努力の末に、見える結果を出している。
この努力はどこまで伝わっているのでしょうか。
身近な目に見えない努力を取り上げてみます。
いま、ご覧になっている端末(パソコン・スマートフォン・その他電子情報媒体)は、人間の作業や努力によって成り立っています。
開発(人間の知恵を振り絞る努力)
製造(人工あるいは機械製造に関してはその機械を設計する努力)
商品(パッケージや梱包、販売の為の努力)
販売(情報媒体を通じて広告・周知する努力)
配達(商品を検品し、工場から配達する努力)
この努力なくして、利益は成り立ちません。
しかし、これらの努力はほとんどの確率で「見えない努力」に終わってしまいます。
誰も気に留めることなく、満足のいく利益だけを見ているからです。
誰しも人間初めてはあります。会社に勤めて叱られたとき「なんでこんな言われ方をするのだろう」「こんなに言わなくても良いのに・・・」など、ショックを受けたこと、誰しも一度はあるのではないでしょうか。
何時の時代も経験による成長は、無限ループを繰り返し、昔があるから今があると言うことです。失敗は成功の元と言う事で、経験こそ全てではありますが、自分が嫌だと思ったことを果たして自分は他人にしていないだろうか、と考えると自信を持って手を上げられる人は少ないのではないでしょうか。
つまり、平成と言う時代には平成の時代の流れが存在しており、今や昭和の考え方は少しずつ古典的という印象が植え付けられ始めています。
それは、ビジネスの変化も大きく影響しており、終身雇用と言う言葉も今では耳にすることがなくなってしまいました。悲しいと思う方もいらっしゃるかとは思いますが、平成の波は勢いを増しております。
勤めた会社で業績を伸ばせなかった場合に「ここは自分のフィールドではない」という価値観により、転職を考え始めます。逆を言えば、得意分野には特化した才能があるという可能性を秘めている、と考えるのが良いでしょうか。
教育の方法は変り、感情の動き方も変ってきていることから、ジェネレーションギャップが生じ、多くの企業が採用に困ったと言う時期がありました。
しかし、昭和と平成の教育の違いによるギャップをマッチングさせることは非常に難しいかと思われます。ビジネスモデル・経営の心理 ・士業の心得 のような概念は無くなり、技術を問われる時代に生きていることは紛れも無い事実です。