「見える結果と、見えない努力」 ~伝えたい、数字よりも重たい努力②

「平成ゆとり」「平成の若者」というレッテルを張られてしまった現代人は、より働きやすい環境を求め、自信に磨きをかける傾向にあります。

 

 例えば、業績について。

 「業績が悪く、これに対してお叱りを受ける。」

 

 ありがちなワンシーンですが、ここには見えない努力も存在しています。

日頃から営業活動は絶えず行っているのに、結果が出ない。これには結果しか証明できる実績がないからです。もちろんなぜ売上が上がらないかの、向上心・研究は大切です。いずれにしてもそれは見えない努力です。しかし、数字はそこまで表現してくれません。ビジネス体系を見直したときに、正しい結論になっているのでしょうか。

よく売り上げる社員か、お客様から絶対的な信頼感を得ている社員か、果たしてどちらが利益なのでしょうか。

 

会社にとっては「売上」こそ利益です。

 

 しかし、売上を確保すべく 厳しいノルマを設けたり、厳しい言葉が飛び交ったり、動物のような扱いになっていませんか?

 つまり、「第三者へ利益の提供」のはずが、「会社への貢献と利益の確保」へと方向転換し、会社を運営するための、実績になってしまっています。「結果に繋がらない努力は努力ではない」と考える企業もあるようですが、全部が全部でもありません。そして、仮に結果にならなかったとしても、いつかその効果は返ってくるものであり、決して無駄には終わりません。

 

 人はほめられると、誰しもうれしくなります。モチュベーションは向上し、気持ちも取り組みに対しても積極的になれるということです。それは利益を生み出すための好都合な環境です。それをとりまく環境の変化によって、努力は報われる場合もあると言うことです。

 

 団体で取り組みをしている場合、プロジェクトに携わったものの、成功時の賞賛が特定の人物だったらその努力には不公平が生じてしまう。チームで仕上げたにもかかわらず、リーダーが賞賛を受けたのでは面白くないはずだ。

こうした環境では本人のモチュベーションはどう考えても向上するとは思えない。

 

モチュベーションはビジネスへ大きく影響を及ぼすことが多く、モチュベーションを保つ事も大切な取り組みであると思います。

意外とありがちな例として、「上司や特定の主導者に気に入られている」など、ビジネス上はスキルを認められている「良いこと」だとは思うが、そこに格差が出来てしまっていることは他人から見れば差別感を覚えてしまう。不公平な環境を作らないためにも、会社の環境の再認識こそが、結果に繋がっているのではないかと考えます。